LADY MACBETH VON MZENSK
Dmitri Schostakowitsch
12. JUNI 2023
WIENER STAATSOPER
Dirigent
Alexander Soddy
Inszenierung
Matthias Hartmann
Bühnenbild
Volker Hintermeier
Kostüme
Su Bühler
Choreographie
Teresa Rotemberg
Boris Ismailow
Günther Groissböck
Sinowi Ismailow
Andrei Popov
Katerina Ismailowa
Elena Mikhailenko
Sergej
Dmitry Golovnin
Axinja
Evgeniya Sotnikova
Sonjetka
Maria Barakova
Zwangsarbeiterin
Jenni Hietala
der Schäbige
Thomas Ebenstein
Verwalter
Hans Peter Kammerer
Hausknecht
Marcus Pelz
Pope
Evgeny Solodovnikov
Polizeichef
Attila Mokus
Polizist
Hans Peter Kammerer
Lehrer
Carlos Osuna
Wächter
Marcus Pelz
Alter Zwangsarbeiter
Dan Paul Dumitrescu
Geist des Boris Timofejewitsch
Günther Groissböck
プログラムの表紙
この演出の初演は2009年。当時から使っているプログラム表紙なのだろうか?白いドロっとした液体に漬け込んだ指が不気味だ。手全体がもうベトベト。抜け出そうと思えば簡単に抜け出せるのに、抜け出そうとしない、どっぷり浸かってしまう心情を描いているのだろうか。あるいは、これがそのネズミ退治用の毒なのだろうか。オペラのプログラムの表紙として、こんな写真を選んでしまうとは凄いな。
ウィーン国立歌劇場では各席に字幕用端末がある。「ジークフリート」では予習は完璧だと思って字幕なしで鑑賞したが、眠気防止のためにも字幕を付けた方が良かったかもしれないと思った(字幕を見るという「作業」がある分、眠気防止になるかも?)。「ムツェンスク」では字幕(英語を選択)を付けた。自分にとって馴染みの薄いロシア語オペラであるという点も考慮した。予習で参考にしたIDAGIOのブックレットの英訳より、ウィーン国立歌劇場の英訳の方が卑猥な表現が多いと思った。ロシア語原文を読めないので、オリジナルがどうなっているかは確認できない。どちらがよりオリジナルに近いかはわからない。
カテリーナは赤い髪。プログラム本に掲載された過去の上演の写真でもみんな赤い髪。
それにしても、あまりにも甲高いジノーヴィ(カテリーナの夫)の歌は滑稽で笑える。テノール歌手なのだが、声質の種類で言えば「魔笛」のモノスタトスや「ジークフリート」のミーメのような「キャラクターテノール」なのだろうか?妻から見てつまらない男であるらしいし、物語の途中で殺されてしまうのだが、あの、もう少しで声が裏返りそうな甲高い歌に少し笑ってしまいそうになる。ごめん!
問題のアクシーナの場面は?
予習編で触れたのだが、夜に大勢の男性使用人たちに襲われるたった一人の女性使用人アクシーナ役の歌手が上半身裸にされている演出が某劇場であった。ここウィーンではどうなっているか?
アクシーナは服を剥ぎ取られてスリップ1枚になってしまったが、裸になどされていない。箱型の台車に乗せられたアクシーナを男たちがステージ上あちらこちらに動かしながら雄叫びのように歌い、前後に腰を振る。男たちはアクシーナの服を振り回したり投げたり(あれれ?実際に脱いだ服の数より多いような?)。このような演出で十分、襲われる可哀想な女の子というショッキングな場面になっている。
もう1つ問題のシーンがある。もう1つの「暴力」の方、すなわちセルゲイがカテリーナを襲う場面である。こちらは、白いスクリーンの向こうに激しく絡み合う男女の影が大きく映し出された。(影である!黒い影だけ!)スクリーンの向こうに男女のダンサーがいるのだろう。スクリーンの手前では歌手の男女(セルゲイ役とカテリーナ役)がブランケットの中で動いている。ブランケットが薄いので人影が見える。というわけで、こちらはアクシーナの場面よりやや刺激があるが、それでも極端な演出というほどではないのではと私は思った。ただし、オペラ初心者はショックを受けるかもしれない。(私の前の席の若いカップルは多分驚いていた。)ところで、この公演に小学生ぐらいの子供2人を連れたご家族が来ていたのだが、なぜこの公演を選んだのだろうか。まったく子供向きではないのだが。。この日しか来られない事情があったのか、知り合いが出ているとかいうことだったのだろうか。なんとなくインドあるいは中東の方々のように見えたのだが。
セルゲイとカテリーナの密会がバレて、夫の父ボリスはセルゲイを鞭打ちにする。ビンビンとムチの音が響くだろうと思っていたのだが、ムチ(あるいはムチの音のような楽器?)はおそらく今回の演奏では演奏では使用されていなかった。屋敷の男性使用人たちの集団が鞭打ちの仕草をしていたので、場面は想像できるが、あの音を実は結構聴きたかったのに、残念。(あのリズム感は何となくショスタコっぽい!)
殺されたジノーヴィの死体を発見してしまった酔っ払いの農夫は、あまりにも気が動転して、死体と一緒に警察に来てしまったらしい(笑)みんな臭い臭いと大迷惑。そんなとき、カテリーナの屋敷では、胡散臭い牧師がカテリーナとセルゲイの結婚式で酒を飲み過ぎて泥酔状態。テーブルの上に乗ってカテリーナの美しさを賞賛する歌を熱唱する。
最後の幕、逮捕されたカテリーナとセルゲイは旅する囚人たちと共に生活。幻想的で美しい舞台セット。去年フランクフルトで鑑賞した「チャロデイカ」では、お気に入りの最後の合唱が舞台裏で歌われたのが残念だったが、「ムツェンスク」にも似たような合唱があり、こちらはちゃんと舞台上で歌ってくれた。よかった。
以上が演出で記憶に残っていること。連日の旅疲れで後半は眠気と闘ったが、まあまあ鑑賞できた。
LADY MACBETH VON MZENSK | Wiener Staatsoper
おまけ|ウィーンのショスタコーヴィチ
プログラム本から何か情報を取得したい。演出家のインタビュー記事があるので、期待して最初の部分のドイツ語を手入力して機械翻訳にかけてみたが、どうやらあまり面白い情報はなさそうな感じだったので途中で中断。別のページを「散策」しよう。
Was hat das mit Shakespeare zu tun? (これはシェイクスピアと何の関係があるの?)というテーマで、Iwan Sollertinskiの言葉が記されているので、これを読んでみよう。Iwan Sollertinskiはショスタコーヴィチの友人で、言語、演劇、文学、歴史、哲学などのスペシャリストであり、音楽評論などで有名な人物。26ヶ国語あるいは32ヶ国語を話すことができたとか。「プラウダ批判」の後も彼は「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を支持し続けたとWikipediaに書かれている。(彼の身を案じたショスタコーヴィチに頼まれてようやく「非難」」した。)1944年に41歳で急逝。ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番(弦楽四重奏曲第8番でも採用されている、あのクレズマー的音楽が使われている作品)は、急逝した大事な友人であるIwan Sollertinskiに捧げられている。
プログラムに掲載されたIwan Sollertinskiによる文章の内容で、面白いと思ったのは、この作品の奇妙なタイトルについて。彼が言うには、実はこれは18世紀ロシア文学で流行ったタイトルなのだそうだ。シェイクスピアの作品と、ロシアの地名を組み合わせたタイトルの物語は他にもあったそうだ。「XXのハムレット」「XXXのリア王」など。それを聞くと、私もそのようなタイトルで物語を書いてみたくなる。「大阪のマクベス夫人」「函館のハムレット」「新宿歌舞伎座のリア王」などどうだろうか? Sollertinskiも書いているが、本家本元のシェイクスピア作品に負けず劣らずロシア版作品の人物たちも暴力的であるが、シェイクスピア作品の人物たちが大きな野望を抱いているのと比べると、ロシア版シェイクスピア的タイトルの物語の人物たちは、もっと狭い範囲に閉じこもった人々である。マクベス夫人が夫を王にするという大義のために殺人を犯したのに対し、「ムツェンスク」ではカテリーナは自分が愛人と幸せになるために殺人を犯した。「夫、夫の父、そして幼い “Fedya” 」 ・・・ ああ、やっぱり。予習時に、指揮者パッパーノによる解説で知ったが、本当に原作ではカテリーナは我が子にまで手にかけたのね。哀れなFedya。オペラでは幾分カテリーナの強烈なキャラクターが弱められており、ショスタコーヴィチは、聴衆がカテリーナにある程度は同情できるようにしたという話は本当である。「彼女にシンパシーを感じる」と、プログラム本の中でショスタコーヴィチ本人も言っている。
ドイツ語力が低いため、中途半端な情報収集しかできないのが残念だ。
最後に、プログラム本より、ショスタコーヴィチのウィーン訪問についてご紹介する。彼は5回ウィーンに来ている。1952年、1953年、1955年、1958年、そして1965年。仕事とはいえ西への旅行が厳しく制限されていた時代にしては、思ったより沢山訪問していたようだ。最後の訪問となった1965年の目的は「ムツェンスク」のウィーン初演に立ち会うこと(ただし改訂版「カテリーナ・イズマイロヴァ」としての上演)。「指揮をした」とは書かれていないので、他の人が指揮をしたのだろう。
自作のウィーン初演に立ち会うこと以外にショスタコーヴィチがやったことが興味深い。
- リヒャルト・シュトラウス作曲 オペラ「薔薇の騎士」鑑賞(ウィーン国立歌劇場)
- ヨハン・シュトラウス作曲 オペレッタ「こうもり」鑑賞(ウィーン国立歌劇場)
- フランツ・レハール作曲 オペレッタ「ルクセンブルク伯爵」鑑賞(ウィーン・フォルクスオーパー)
- グスタフ・マーラー作曲 交響曲第5番 鑑賞(演奏場所の記載なし、楽友協会かコンツェルトハウス?)
- アントン・ブルックナー作曲 ミサ曲第1番ニ短調 鑑賞(演奏場所の記載なし、楽友協会かコンツェルトハウス?あるいは教会?)
まるで私の音楽旅のような充実の鑑賞ラインナップだ!!