ジークフリート | 2023年6月11日 | ウィーン国立歌劇場

SIEGFRIED

Richard Wagner

11. JUNI 2023
WIENER STAATSOPER

Dirigent
Franz Welser-Möst
Regie
Sven-Eric Bechtolf
Bühne
Rolf Glittenberg
Kostüme
Marianne Glittenberg
Video
fettFilm (Momme Hinrichs und Torge Möller)

Siegfried
Klaus Florian Vogt
Brünnhilde
Ricarda Merbeth
Der Wanderer
Eric Owens
Alberich
Michael Nagy
Erda
Noa Beinart
Mime
Matthäus Schmidlechner
Fafner
Ain Anger
Stimme des Waldvogels
Maria Nazarova

今回の旅を企画することになった発端は当公演である。ウィーン国立歌劇場でワーグナーの楽劇「ニーベリングの指環」(通称「リング」)全4作品が上演されることを知り、全部鑑賞できると良いなと思った。しかし、流石にそれは諦めた。1つだけ鑑賞するとしたら、どれが良いか?生鑑賞経験は「ワルキューレ」のみ。未体験の3作のうち、気に入っている場面が多くて印象的な「ジークフリート」に狙いを定めた。来日歌手に頼らなければならない(特にタイトルロール)という事情もあり、日本では演奏困難であるため、滅多に上演されない作品である。せっかくの機会だったはずの近年の国内上演は残念ながら未鑑賞。次にいつチャンスがあるかは不明。ステージオペラとして「ジークフリート」を鑑賞するためなら、わざわざウィーンまで行く価値があると思った。この公演だけは念の為プレオーダーで申し込んでおいた。気合い入れて予習もした。

ところが、いろいろ試行錯誤した結果、一番の目当てであるこの公演の当日にウィーン入りするという非常にタイトなスケジュールとなってしまった。

木曜の仕事を終えてから羽田空港に行き、夜便に乗り、金曜朝ミュンヘン着、そして乗り継いでハンブルクへ。到着直後から現地の友達と北ドイツ観光開始。日曜早朝、友人宅から車でハンブルク空港まで連れて行ってもらい、お昼頃にウィーン着陸、夜に「ジークフリート」。

疲労のため寝てしまう可能性大!

なんとか耐えろ自分!頑張れ自分!

そう願わずにいられない。上演時間は驚異の約4時間。休憩2回を入れると5時間。オペラ鑑賞は体力と気力が重要だ。自分との闘いだ。オペラとは、ドレスを着てシャンパン片手に優雅にゆったり楽しむものと考えているそこのアナタ!全然違うから!!

ミーメとジークフリート

予習編に書いた通り、私はなぜかミーメという役がお気に入りだ。前作「ワルキューレ」は、闇夜に馬が駆ける音のような、暗いけどカッコイイ音楽で始まるのだが、「ジークフリート」は、ちょっと間抜けな感じの音で始まる。「苦労だらけだ。もうやってらんない・・・ミーメ、もうやんなっちゃう、はあ。」と腕白怪力少年ジークフリートの世話をするミーメのため息のような音だ。しかも、ウェルザー=メスト指揮のウィーン国立歌劇場では、音をやや長めに引き伸ばして、スローに始めた。うんざり感が増強されてちょっと笑ってしまった。「ミーーメ、もうやんなっちゃう、はーーーあ」という感じだ。うん、ミーメっぽくて良い!

今回の演出の初演は2007年〜2009年。比較的ミニマルな演出かなと感じた。歌手たちの動きもそれほど激しくない。どの場面だったか、森の動物たちが走る姿を真上から描いた絵が舞台の壁一面に描かれていた。プロジェクター映像も活用。ノートゥングで鍛治床が一撃されたときに壁に大きくギザギザの斜め線を表示したり、大蛇姿のファーフナーの巨大な蛍光グリーンの目(姿はなく目だけ!)がキョロキョロ動いたりするのはプロジェクター映像。

ミーメは鍛治仕事の炎の光から目を守るゴーグルを持っていた。鍛冶場も再現されていて、特に気になる場違いな物はない。さすらい人の最後の質問に答えられなかったミーメは、手を鍛冶場の万力に固定されてしまった。とっても痛かったらしい。戻ってきたジークフリートは、ミーメの手に包帯を巻くのを手伝っていた。

ミーメとジークフリートの関係をどう描くかと言うのが、本作における私の気になっていたところの一つである。嫌いなヤツなのに、お手伝いぐらいする、共同生活を営む人間同士らしい何気ない場面がちょっと悲しい。と言うのも、この後、ミーメはジークフリートを毒薬入りのドリンクで殺そうと企み、その企みを知ったジークフリートはミーメを殺したのだから。

ミーメがあの「子育ての歌」を歌うと、「はい、はい、もう何度もその歌は聞いたから」と言わんばかりに、ジークフリートも口パクで歌っていた。ツーレンデ・キント・・・

疑惑:ミーメはジークリンデを狙っていたのでは?

ミーメはジークフリートにせがまれて、ジークフリートの生い立ちを語る。ジークフリートの母ジークリンデはジークフリートを産んですぐに亡くなったと伝えると同時に、血のついた白い布をジークフリートに渡した。「お母さんは僕のために死んだんだ・・・」とジークフリートはその布を抱きしめて泣いてしまった。(ショックを受けて悲しそうにする場面だが、本当に泣いてしまったように見えた。)ジークリンデが死の瞬間に来ていた服かシーツだろうか?血のついた布を十数年も保管していたと言うのはちょっと気味が悪い。

コロナ禍でストリーミングされたオランダ国立歌劇場の「ジークフリート」では、ミーメはジークリンデの遺髪を持っていた。長いブロンドの髪の束を隠し持っていた。毒入りドリンクを煮込むときに、その髪まで入れていた。。

ミーメがジークリンデの遺物(ノートゥング以外)を保管しているという演出は結構あるのではと思う。それが何を意味しているのか?私は以前から、なんとなく、ミーメはジークリンデに想いを寄せたのではと思っている。純粋な淡い恋心だったかもしれないし、自己利益のために利用したいと言うだけの目的だったかもしれない(黄金の指環を手に入れてくれる強い我が息子を産んでもらいたいとか?)。あるいは欲求不満の解消だったかもしれない。森の奥に住むミーメは他の人間と出会うことは滅多にない。そこに、死にかけた美しい妊婦が突然現れた。私の予想は、ありえない妄想ではないはず。死の床にある女に襲いかかったのかもしれない。襲いかかろうと企んだ瞬間にジークリンデは死んでしまったのかもしれない。何らかの未練があって、遺物を手元に残しておいたに違いない。他のワーグナーファンはどう分析するだろうか?よろしければぜひご意見を伺いたい。

4作品を2回上演するタフな人々

アルベリヒ役の Michael Nagy は、今回はやや目立たない役にもかかわらず、何だか存在感半端ない。堂々たる雰囲気に「あれれ?この人も主役だっけ?」と思い込んでしまいそうになる。弟ミーメが殺されたときの高笑いなど、嫌味ったらしく大声で笑ったので、思わず私まで笑ってしまったではないか!(笑)

さすが、去年のフランクフルトでも大活躍だったが、各地の劇場で引っ張りだこの売れっ子バリトン歌手。余裕だなと思ったのだが、そうでもなかったようだ。3年ぶりにスマホに一時ダウンロードしたfacebookで、私がフォローしている数少ない音楽家の一人であるMichael Nagy の投稿が飛んできた。相当のプレッシャーの中で立ち向かった公演だったようで、「ようやく一息つける」と言っていた。そうか、堂々たる登場だからといって、余裕があるというわけではないのだ。勝手な解釈をしてしまい申し訳ない。いつだって出演者たちは必死に責任を果たそうと、期待に応じようとしているのだ。

それもそのはず。私自身が1作品しか鑑賞しないので、忘れていたが、今回は4作品全て、しかも2回上演することになっていた。歌手たちはそれぞれ複数の作品に出る。アルベリヒ役は「ラインの黄金」「ジークフリート」「神々の黄昏」の3作品に出演。1つだけでも大変なのに、ほんの数日だけ間を空けて次の作品を上演しなければならない。気が遠くなりそうなハードワークだ!「リング」に挑む出演者たちを尊敬する。(「リング」が格闘技の「リング」に思えてきた・・・)

完璧な演奏を求めてはいけない。みんな大作のプレッシャーの中で闘っている。オーケストラもそうだ。演奏開始早々、ちょっと首を傾げてしまったのだが、金管楽器が音を外したような気がした。1回ではなく、何回か外れた。私の気のせいかもしれないが、前の席の男性二人組もその度に顔を見合わせていたので、気のせいではないようだ。歌手たちも幕開け直後は何となく調子悪いのかなと思ってしまった。ただし、みんなさすがプロ。徐々に違和感は解消されてあっという間にフル戦闘(?)モードに。

題名役 ジークフリートなど、歌い続け、とてつもなく体力を使う役なのだが、Klaus Florian Vogt は相変わらずタフだ。金槌を叩いてノートゥングを鍛えるところで本領発揮。金槌の騒々しいカンカン高音に全く負けないパワフルな歌声だった。2013年にルツェルンで演奏会型式の「ワルキューレ」を鑑賞したときのジークムント役が彼だった。あれから10年も経ったが、今もワーグナー作品で主役を歌える。

アルベリヒの他に最初から絶好調だったのは、さすらい人(ヴォータン)役のEric Owens だった。バリトンより低いバスの音域。低ければ低いほど、周りの音にかき消されたり、響きにくいのではと思うのだが、ド迫力の音量で響きまくる。

さて、お気づきだろうか?

私の報告内容が物語の前半に偏っているではないか?! そうなのだ。私は頑張った。第一幕は全て集中して鑑賞することができた。感無量だった。このために来たのだ。トンカチカンカンしながら「ノートゥング」と剣の名を叫ぶジークフリート、悪い奴だが憎めないミーメ。大満足だ。

このまま第二幕も第三幕も行けると期待したのだが、現実は甘くなかった。私は必死に鑑賞したが、何度も睡魔に襲われて、部分的に記憶がない。ジークフリートのド下手な葦笛で少し目が覚めたが、それはほんの一瞬。ああ、何だかな。まあでも、完敗というほど残念な結果ではなく、少なくとも第一幕はフルに楽しんだし、その後も部分的には鑑賞できた。

完璧な鑑賞を求めても仕方ない。開演時間を勘違いして1時間遅れで会場入りした11年前のウィーンでの「フィガロの結婚」よりは良い。今回は「リング」だからか、日本から来たと思われる鑑賞者も多数見受けられた。上演の詳細を知りたいなら、そのような人々を探して話を聞いてみると良いだろう。

Wiener Staatsoper

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Wiener Staatsoper

プログラム本より

Siegfried | Wiener Staatsoper

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Siegfried | Wiener Staatsoper

「ジークフリート」単体ではなく、「ニーベルングの指環」全4作を統合したプログラムとなっている。

リングファンにとって有意義な情報をピックアップしてご紹介したいと考えていたのだが諦めることにした。いくつかサンプルとして機械翻訳にかけてみたのだが、書かれていることが非常に難しい。来年はついにバイロイト詣でしようかと企んでいるほど、私はそこそこワーグナー作品に親しんできたつもりだったが、まだ修行が足りない。甘かった。日本語で書かれていたとしても、あまり理解できないかもしれない。とほほ。

その代わりに、プログラムの構成をご紹介したい。

リング全般:約70ページ
「ラインの黄金」:約15ページ
「ワルキューレ」:約20ページ
「ジークフリート」:約30ページ
「神々の黄昏」:約25ページ

これが全て読めたなら・・・! 残念だ。

リング全般に関しての内容は以下の通り

  • 全4作のあらすじ(これだけ英語版あり)
  • このプログラム本について
  • 指揮者 Franz Welser-Möstのインタビュー

さらに音楽評論家、研究者などによる読み物6本

  • Was ist Musik-Drama? (Judith Staudinger)  「楽劇とは」
  • Mehr Dichter als Musiker? (Joachim Reiber) 「音楽家というより詩人か?」←もちろんワーグナーのこと
  • Der lange Weg zum »Ring« (Oliver Láng) 「『リング』 までの長い道のり」← ワーグナーの『リング』作曲の道のりを追った読み物。著者のLángはウィーン国立歌劇場でドラマトゥルク(演劇の研究や現場でアドバイザーとして活動する人)として活躍している。OliverとAndreasは兄弟で2人ともウィーン国立歌劇場のドラマトゥルク。今回の旅で鑑賞した全てのオペラプログラムに名前がある(読み物の著者や対談相手も含め)。ハンガリー出身の父親もドラマトゥルクや演出を手がける。いい仕事だ。ドラマトゥルクのような仕事に就きたかった。(そのような職業があるということを若い時は知らなかった。)
  • Woher kommen die Personen im »Ring« (Andreas Láng) 「『リング』の人々はどこから来たか」←各キャラクター22人について、北欧神話や中世の伝説などと絡めて解説。これは比較的読みやすいかもしれない。いずれ読んでみたい。しかし、神々も混じっているのに「Personen」(人々)と言うのはおかしいような気がするが、他にどうにも表現できないでしょう。ドイツ語でも日本語でも?あ、しかも、そのうちの「1人」は「Tiere」(動物たち)だ。
  • »Der Ring des Nibelungen« im Haus am Ring (Peter Blaha) 「リング通りの 『ニーベルングの指環』」←ウィーン国立歌劇場はリング通りに面している。この記事はウィーンでこれまでに上演されたニーベルングの指環(指輪=リング)を振り返っている。つまり「リング通りのリング」だ。1876年にバイロイトで初演された「リング」は、早くも1878年から1879年にかけてウィーン国立歌劇場でも上演されている。
  • »Der Ring des Nibelungen in heutiger Strafrechtlicher Sicht (Peter Lewisch) 「現代の刑法の視点から見た『ニーベルングの指環』」←これは機械翻訳にかけてやっとタイトルを理解したのだが面白そうだ。4作それぞれについて個別に分析している。

4作品の中でプログラムのページ数が最多の「ジークフリート」の内容は以下の通り
読み物3本の他、演出家のインタビュー

  • … Vor diesem Menschen muss alle Götterpracht erbleichen (Oliver Láng) 「彼の前では、すべての輝かしいものが青ざめる」←これはジークフリートのこと
  • Zur Musikalischen Dramaturgie des »Siegfried« (Tobias Janz) 「『ジークフリート』の音楽的ドラマトゥルギーについて」
  • 演出を手がけた Sven-Eric Bechtolfのインタビュー
  • Der ruchlose Optimist (Konrad Paul Liessmann) 「非情な楽観主義者」

さらに、同演出の過去公演の写真が十数ページ分。写真を見るだけでも結構その世界に浸れる。 背表紙の型紙内側には人物関係図(それぞれ名前のみのシンプルなもの)。

来年前半には「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞できる見込み。2020年春に鑑賞予定だったのだが、コロナ禍で中止になっていた。予習は完了している。ということは、ワーグナーの楽劇のうち、生演奏で鑑賞できていないのは残り2作品となる。「ラインの黄金」と「神々の黄昏」、いずれも「リング」の一部。

さて、来年はついにバイロイト音楽祭デビューしたいのだが、実現できるだろうか?

人生、いつ何が起こるかわからない。やりたいことがあるなら、先延ばしせずにやってしまうのが良い。それがコロナ禍で学んだこと。

 

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