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ウィーンから日帰りでアクセスできる場所と言えば隣国スロヴァキアの首都ブラティスラヴァ。2012年に訪問済み。チェコの第二の都市ブルノも比較的近いのだが、こちらは2017年のチェコ旅で訪問済み(国境に近いミクロフも)。オーストリア内のヴァッハウ渓谷(ワイナリーやメルク修道院)も検討したが、それより、まだ未訪問の国に上陸したい。
ということで、ハンガリーに狙いを定めた。首都ブダペストもギリギリ日帰りで往復できそうだが、近年のヨーロッパの長距離鉄道は遅延が発生しやすく、距離を考えると夜のコンサートやオペラに間に合わない可能性もある。より近い場所が安全だ。国境沿いの小さな町ショプロン Sopron を訪問した。
ウィーン中央駅から約1時間。電車はブラティスラヴァ、ウィーン、ショプロンを結ぶ近距離の国際電車。座席指定はなし。ウィーンの自動券売機で往復分を購入した。
北ドイツの街案内の表記がドイツ語とデンマーク語だったように、ショプロンでの表記はハンガリー語とドイツ語。ハンガリー語は「こんにちは」と「ありがとう」だけ覚えておいたが、ラテン系・ゲルマン系・スラヴ系でもない、ウラル語族であり、自分が少しでも知っている言語と結びつけて手っ取り早く理解するということは残念ながらできない。
駅から歩いて旧市街に向かう。道は少しGoogle Mapで確認した程度だが、古い塔の天辺が見えるので、そこを目指す。
美しい旧市街は、驚くほど人が少ない。たまに遠足の子供たちや、少人数のグループを見かけるが、ご覧の通り無人の写真を撮ることも可能。北ドイツでも思ったが、人が少ないのはストレスフリーで気持ち良い。改めて、人間だらけの東京や日本の観光地が嫌になる。
オーストリアの街並みと似ているように思うが、知らない言語であるハンガリー語が聞こえてくると、違う国に来たことを感じる。たった1時間で異国に行けるヨーロッパが羨ましい。ドイツ語で話すグループもいたが、オーストリアから来た日帰り旅行者なのだろう。
ハンガリーの通貨はユーロではない。フォリントと言う。今回は短い訪問なので、両替はしなかった。カード払いできる飲食店がなければ、何も食べずに帰る覚悟だったが、幸いカード払いOKの店に入ることができた。
注文したのはもちろんハンガリーワインとグーラッシュスープ。牛肉やジャガイモを煮込んだ赤パプリカのスープである。ハンガリーに限らず、オーストリアやチェコなど周辺諸国でも定番のスープだが、ハンガリーのスープが最も有名かな?スープにはスライスされたパンと辛いソースもついていた。個人的にはちょうど良いボリューム。辛いソースが意外と自分好みで美味しかった。スープに入れたりパンにつけたりしていただいた。
トータルで1,000円程度。ほんの少しユーロ通貨圏から抜けただけなのに、あまりにも安過ぎて申し訳ない。ヨーロッパのインフレに加えて、激しい円安のため、ユーロ圏での旅行は、日本人にとって、とんでもない高額になっているのに、電車で1時間移動するだけで、この差は驚きだ。料理にも素敵な雰囲気にも満足したので、もう少し払いたい。と言うことで、デザートを注文した。エスプレッソにアイスクリームを加えたもの。チップも入れて最終的に1,600円程度を支払った。
ショプロンと言えば、歴史的なあの「ピクニック」で有名。冷戦末期の1989年、ハンガリーとオーストリアの間に設置されていた有刺鉄線が撤去された。ハンガリー側から国境を通過できるのはハンガリー人だけだったのだが、西ドイツに亡命希望の東ドイツの人々が殺到し、支援を受けて「ピクニック」の名の元、ショプロンから国境を越えた。Wikipedia:汎ヨーロッパ・ピクニック
クラシック音楽においても重要な国であるハンガリー。また別の機会にじっくり訪問したい。
旅が終わってしまった。
いつもそうなのだが、ヨーロッパに降り立つと、人生の続きが始まった感じがする。
つまり、日本にいる間、私の人生は常に一時停止の状態なのだ。
日本でも、積極的に知らないところに行ってみたり、新しいことにチャレンジしたりしているのだが、何一つ生きがいも喜びも見つけられない。すべてが退屈で気が狂いそうになる。人生とはそんなものなのだろう。つまり退屈なものさ。日本ではそれが普通。それに、コロナ禍を耐えて、再びヨーロッパに行けるようになったのだから。悲観になり過ぎてはいけない。
またヨーロッパに行くときまで、私の人生は一時停止。