夏の北ドイツ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を散策 | Schleswig-Holstein | 2023年6月

これまでに訪問したシュレースヴィヒ=ホルシュタイン各地を地図上にプロットしてみた。こんなに沢山の場所を訪れることができたのは現地の大事な友人のお陰。赤線で囲ったのが今回の訪問地。

シュレースヴィヒ
Schleswig

空港から車で直行。なだらかな丘が続く北ドイツ。何だろう、この長距離フライトの疲れも吹っ飛ぶ開放感は!だって、こんなに美しい風景なのにほとんど人がいない(笑) どこに行っても人だらけの日本からみると信じられない奇跡だ。羨ましい。私が日本にストレスを感じる理由は山ほどあるのだが、その1つは人口過密。東京での日常生活はもちろん、地方に行っても名所は人だかり。とほほ。

北ドイツでは、楽しそうな鳥たちの歌声が常に聞こえる。何という平和なところだろう。でも、友人たちにとっては鳥の声が聞こえるのは当たり前の日常的なこと。

シュレースヴィヒは、かつて存在したシュレースヴィヒ公国の首都である。現在は公国の南半分はドイツ、北半分はデンマークに属する。

Schleswig

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Schleswig

ゴットルフ城 Schloss Gottorf 所蔵の絵画や彫刻を鑑賞した。

ゴットルフ城は、1161年にシュレースヴィヒ司教の居住地として歴史上に登場。以降、建物は破壊され、持ち主が変わり、1459年にはデンマーク王の所有に。そして、デンマーク王室にルーツのあるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルフ公爵の居住地となった。城の建物は複数の増改築を経ている。それぞれの時代の建築様式が反映されているので、部分的に様式が異なっている。下の写真の最後に中庭から撮った写真を載せたが、様式が異なっているのが分かる。

デンマーク国境に近いシュレースヴィヒ=ホルシュタインでは、重要な外国語と言えば、まずデンマーク語なのだ。以下の写真の通り、展示物の説明もドイツ語とデンマーク語の併記。一部のみ英語が添えられている。

Schloss Gottorf | Schleswig

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Schloss Gottorf | Schleswig

写真について少し解説したい。

数年前にロマネスク様式というジャンルを知ってから、ヨーロッパ訪問時はロマネスク的なものを探すクセが付いてしまった。建築物が最も有名なのかもしれないが、私は特におもしろおかしい壁画や彫刻を発見したくなる。ミラノの教会で必死に天を支えているアトラスさんのような素敵なゲイジュツ作品と出会いたい!

ロマネスクというのは1000年から1200年頃の様式なのだが、どうもそれ以降のものでもロマネスク的な物がけっこうあると思うのだが、私は専門家ではないので何とも言えない。たとえば2020年1月に出会ったイギリスのカンタベリー大聖堂の犬の彫刻。それは、横たわる王や貴族の頭や足元に設置されていた奇妙な彫刻なのだが、年代は1300年代あるいはそれ以降だった。

そして、今回北ドイツで発見したのが上記写真の宗教彫刻。「ロマネスク的」な雰囲気を感じるものが複数あったが、2つだけ上に掲載した。最初の作品は「戴冠したキリストと使徒たち」と題されている。うっかり一部のみ撮影したので、どれがキリストだか分からない。冠のある人物が見当たらない。ロマネスク的な雰囲気にばかり注目してしまい、肝心のキリスト様を写真に入れ忘れたかもしれない。。シンプルだが、ちょっと顔が大きめ、背が低めのところが可愛く見えてしまうので何となく「ロマネスク的」と思った。1300年代。

もう1つはキリスト誕生の彫刻。人物たちはなぜか眠そうな虚な目、小屋の外のお馬さんたちも何だか可愛いので「ロマネスク的」な感じ?こちらは1400年代のもの。

続いて載せたのは青白い脚の細長さが強調されたマニエリズム風の彫刻かなと思った。最後から2番目の写真。年代を記録するのを忘れたのだが、時代順に展示されている中で、クラナッハ(ルネサンス)より手前に展示されていたことを考えると、マニエリズムの時代ではないはず。なぜならマニエリズムはルネサンスの最後の方だから。

ああ、私の芸術関連の想像や解釈はほとんど全て間違っているのだろう。読者の皆さんは、私の書く内容を参考にしないようにお願いしたい。青白い細長い脚は、ご想像の通り、磔刑の場面である。あまりにも痛々しいので全体像の撮影は遠慮した。

Schloss Gottorf | Schleswig

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Schloss Gottorf | Schleswig

そうなのだ!クラナッハの作品まであるとは!クラナッハは私のような素人でも一目でクラナッハだと分かる独特さがある。ただし、どちらが父の作品か、息子の作品かは、私には見分けられない。ここでは、Ä(Ältere)と表記されているので、年寄りの方、つまりクラナッハ父の作品。「子供たちを祝福するキリスト」と題されている。ざっとGoogle検索してみたところ、同じような作品をクラナッハ息子も複数描いているようだ。

さあ!次はフランクフルトのシュテーデル美術館に続き、またまた出会った「生首」だ!

洗礼者ヨハネの生首を所望した王女サロメが、生首を銀の皿に受け取る場面が描かれている。これまでに見たヨハネの首より強烈だと思うのは、首から切り離された 胴体まで絵の中に収められていること。こんなショッキングな表現をしてしまう画家の名を知りたかったのだが、”Unbekanter Nord-Deutscher Maler” (無名の北ドイツの画家)となっている。残念。

上の写真は、クラナッハと生首に続いて、ゴットルフ城内のチャペル。最後の1枚は「鹿の間」と名付けられた広間。

Historic fishing village Holm | Schleswig

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Historic fishing village Holm | Schleswig

最初の2枚はシュレースヴィヒ内の漁村ホルム Holmで撮った。日本の漁村のイメージとは全然違う。シュレースヴィヒはシュライという名の細長いフィヨルド湾の最も奥に位置する。古くから漁民が住むエリア。ヴァイキングが活動した地域でもある。

続いて美しいシュレースヴィヒ大聖堂 Schleswiger Dom (St. Peter Cathedral) の写真。非常に細かい彫刻が施された巨大な木製の祭壇がある。手前に電子タブレットがあり、一つ一つの枠がどのような場面を描いているのかを示している。

最後に載せたのは、想像以上に大き過ぎてショックだったバゲットサンドグリル。正確な名前は忘れてしまったが、ドイツ語では「フラウト・・・」(つまり楽器のフルート)と言う。細長いパンに具を挟んで焼いたもの。トマトとモッツァレラがたっぷり乗っていて美味しかったが、それにしても大き過ぎる!一生懸命食べた。

カッペルン
Kappeln

シュレースヴィヒから海側へ車を走らせてカッペルンまで来た。

Kappeln

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Kappeln

冒頭の地図をご覧いただきたい。シュレースヴィヒ、カッペルン、フレンズブルク、エッカーンフェルデをぐるっと囲った地域はアンゲルン半島。6世紀頃、ここからグレート・ブリテン島(イギリス)に移住した人々がいた。彼らは同じドイツのもう少し南のニーダーザクセンから移住してきた人々と共に「アングロサクソン人」と呼ばれるようになる。

「アンゲルン」という名の由来の一つの説として、半島の形が釣り針の形と似ているからというのがある。私が作成した地図は出来が悪いようで釣り針のようには見えないのだが、Google Map上で見ても、それほど釣り針に似ているとも思わない。そう思おうと思えばそう思えるという程度。空から地形を見ることが出来なかった昔の人々が、釣り針という名を地名にしたとは思えないのだが、どうだろう? 

この「アンゲルン」「アングル」という音は、「イングランド」や「イングリッシュ」という言葉に繋がっていった。英国の国名や民族、言語の名の起源はドイツだったとは!

フレンズブルク
Flensburg

翌日はデンマーク国境に近い町フレンズブルクへ。次に行きたいところとして、以前から名を挙げていた場所だ。大学があるので若い人が多いとのことだったが、確かにそうだった。州内の他の地域と比べると外国人と思われる人も少し多い(おそらく大学の学生)のだが、それでも私のような東アジアの人を見かけなかった。日本でほとんど知られていない、特別なところに来たという感覚が嬉しい。

土曜日だったが市内ウォーキングツアーはドイツ語のみ。

St.-Nikolai-Kirche | Flensburg

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St.-Nikolai-Kirche | Flensburg

Moin, moin!

モインモイン! ツアーガイドと参加者たちは、まず、北ドイツ独特のご挨拶を交わす。(私はこの単語を見ると、なぜかモワンモワンと言ってしまう。)

コロナ禍で少しドイツ語学習を強化した私は自信満々で参加したが、ツアーガイドの話がどれぐらい理解できたか?結果は撃沈。事前にWikipediaや観光情報サイトの大量のドイツ語情報を自動翻訳で英語変換して予習していたお陰で何となく分かるという程度で、予習しなかったらほとんど何も分からなかっただろうという残念な状態。

待ち合わせ場所のニコライ教会からスタート。600年超の歴史を誇る北ドイツの重要な教会。当初はカトリック教会として建てられたが、ほどなく宗教改革によりプロテスタントの福音教会となった。建物に小さなネズミの置物が張り付いているのだが、これに関する話も聞き取れず。。 教会のオルガンは二重になっていて(オルガンが2つ)、表側にあるオルガンの奥にもう1台あるそうだ。オルガン修復の話もよく聞き取れず。

ツアーに含まれる施設の中で「ラムハウス」を楽しみにしていた。「ラム」はもちろんラム酒のこと。お洒落な飲食店や雑貨屋が並ぶローテシュトラーセ(赤い通り)にある Braasch Rum Factory Museum を訪問。北ドイツで何故、カリブ海のラム酒が出てくるのか?!実は、17〜18世紀の三角貿易(ヨーロッパ→西アフリカ→西インド諸島→ヨーロッパ)におけるヨーロッパの港の一つが当時デンマークの一部だったフレンズブルク。西インド諸島から砂糖や砂糖で作られたラム酒がフレンズブルクに入ってきた。こうしてフレンズブルクではラム酒の製造やブレンドが行われるようになったのだが、この歴史にはダークサイドがある。三角貿易は奴隷貿易であり、ヨーロッパで作られた物は西アフリカで奴隷を買うために利用され、西アフリカから西インド諸島(カリブ海)に連れてこられたアフリカの人々は奴隷として強制労働をさせられ、作られた砂糖はヨーロッパに送られた。酷い話である。人間の自由と尊厳を奪うことは許せない。二度とあってはならない。

Rumhaus Braasch | Flensburg

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Rumhaus Braasch | Flensburg

ラムハウス訪問の楽しみは、もちろんテイスティング!薄いカラーのラムと濃いカラーのラムを少量ずつ試飲。さらに、ラム入りのチョコクリームをひと舐め。パクパク食べてはいけないと思わせる高級感漂うチョコクリームだった。スーツケースの限られたスペースとお値段を考慮して、記念に濃いラム酒の小瓶(0.02L) とチョコレートを少しだけ購入。

ラム酒で有名だったはずのフレンズブルクだが、その後、ラム製造は極端に減ってしまったのだった。Braaschラムハウスのウェブサイトによると、1970年代にはラム製造施設・ラムハウスが約25もあったそうだ。Walter Braaschはフレンズブルクのラム酒製造を学んだ「one of the last」の人であり、廃業した老舗有名店などから技術を受け継ぎ、伝統を受け継ぐという新たな目的を持って、自身のラムハウスを1998年に再スタートさせた。

Flensburg

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Flensburg

最後に、ニコライ教会の前の広場で開催されていたマーケットの様子をご覧いただこう。白アスパラの太さに驚く。(太ければ美味しいというわけではないそうだ。)

グリュックスブルク城
Schloss Glücksburg

フレンズブルクから車で10分ほど。あまりにもメルヘンチックな佇まいに思わず微笑む。白鳥に導かれた騎士が登場しそうだ(笑)

こんなに写真映えするのに、訪問者が驚くほど少ないところに快感さえ覚える。そんな名所が沢山あるヨーロッパの地方が素敵すぎる。

Schloss Glücksburg

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Schloss Glücksburg

グリュックスブルク城の土地はもともとはシトー会の修道院 Ryd Abbey が建てられていた場所。1192年にシュレースヴィヒの「ダブル」修道院(修道士と修道女が共同生活)が解散して、修道女たちは同じシュレースヴィヒ内の別の修道院へ、修道士たちは遠くに移り住んで修道院を作ったのだが、新しい修道院はうまくいかず、この土地に移動してきた。そして、1210年に戒律厳しいシトー会の修道院として新しい修道院を作った。修道院だった頃の建物の遺跡発掘調査の写真も館内に展示されている。その後、1538年にはデンマーク王の所有となり、現在の建物は1582年から建設。デンマーク王室やオルデンブルク家にルーツのあるグリュックスブルク家の居住城となる。一族の話は細かいので省略。この一族は、現在のヨーロッパ王室の多くの人々のルーツでもある。例えばイギリス国王チャールズ3世、デンマーク女王マルグレーテ2世、ノルウェー王ハーラル5世、ギリシャ王妃アンナ=マリア、スペイン王妃ソフィア。

絵に描いたような城だが、想像以上に刺激的なところもある。実は、ここは、綺麗なところだけでなく、ダークな部分も隠さず見せてくれる城なのだ。使用人たちが住んだ最上階(屋根裏)は安心して見られるが、地下室は恐ろしい。冷えている。そして、何故か地下だけじめっと湿度が高い。息が詰まるような薄暗い空間。そこで見たものは、囚人を繋ぐ足枷のようなもの。ギロチン台のようなもの。「ようなもの」ではなく実物なのだろう。あまり認めたくない。いや、レプリカかも?でもレプリカにしてはリアルだ。きっと幽霊がそこに。ここで命を落とした哀れな人々が。さすがに地下の写真は撮る気になれなかった。

Schloss Glücksburg

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Schloss Glücksburg

ピアノと客席があるので、この城ではコンサートも開催されているのだろう。

Flensburger Radler | Schloss Glücksburg

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Flensburger Radler | Schloss Glücksburg

フレンズブルガーというフレンズブルクでお馴染みの瓶ビールを飲んだ。金具をぐいっと押してポンと開栓する。

ドイツ的ディナー

初日のディナーはドイツ名物「冷たい晩ごはん」。これは、私がドイツ語学習に利用しているYouTubeチャンネルでも紹介されていた、ドイツの定番ご飯の一つ。夕食として冷たいものばかり食べるなんて、海外の人々はちょっとショックを受けるが、これは普通のドイツの食事である。

冬はともかく、夏であれば、これで十分。特に私は、ドイツ的なハードパンやラウゲンを塗った香ばしいパンとナチュラルチーズがあれば、ご馳走と思える。私のリクエストに応じて様々なパンと高品質のチーズが用意されていた。至福の時!デザートには北ドイツ名物、いろんな赤いベリーを煮詰めたrote Grützeにバニラアイスを添えて。

Cheese! | German cold dinner

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Cheese! | German cold dinner

2日目のディナーは季節の名物白アスパラを手作りのオランデーズソースと一緒に。ホクホクの新じゃがいも、私にぴったりのサイズのチキンのシュニッツェル(小)、オーストリアの白ワイン、全てが最高にマッチしている。

ホワイトチョコムースとダークチョコムースにマンゴーソースをかけたスペシャルデザートが絶品!ムースは軽いのでペロリと美味しく平らげる。これなら沢山食べられる。

Schnaps

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Schnaps

食後はドイツの締めの酒?シュナップスに挑戦。ずらりと並んだ瓶から悩んだ末に2種類ほど味見をしてみる。梨と、何だったかしら・・・。シュナップスで乾杯するのは儀式のようなもの。きちんと目を見て乾杯せよ!

ドイツでホームステイをしたら、必ずこんな素敵な料理が出てくると期待してはならない!

友達の家は特別なのだ。友達の旦那さんはプロの料理人。こだわりの材料と抜群のテクニックで料理を作ってくれる。食にこだわりのあるグルメなご家族だ。それに、友達はいつも私の好みを丁寧に確認してくれる。相手がどのような人間であるか理解するためにきちんと向き合って対話し、喜ばせようと努力してくれる。コロナ禍でも落ち込む私を気遣ってくれた。私の救いだった。そんな姿勢を私も見習いたい。日本では誰もこんなに個を大切にしてくれない。私はドイツの友達の家にいる時だけはとても幸せ者なのだ。

初めて会った時は5歳だった娘さんは12歳。英語で会話ができるようになった。新しく加わった元気な子猫2匹とも遊んだ。

いつも手間暇をかけて、私を喜ばせてくれる友達ご一家に心より大きな大きな感謝を伝えたい。温かいおもてなしは、人と疎遠になりがちな私にとって人生の貴重な良い思い出。

 

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