完壁すぎた第2回音楽旅
2012年5月、大型連休明け。私は雇用留めを言い渡された。つまり失業。
そして、仕事探しより先に旅の手配を進めた。
その2ヶ月前の2012年3月に、記念すべき第1回音楽旅(パリ)を楽しんだばかりだった。次の旅先として、迷うことなく音楽の都ウィーンを選んだ。
ソツギョウ旅行ではなく、シツギョウ旅行だ。
失業を楽観的に捉えていたのではない。むしろかなり悲観し落ち込んだ。はっきりと要らない人間と認定されたのだから。ヨーロッパまで飛んで音楽鑑賞の旅をすることが自分の人生において最も大事な生きがいとなるということを悟った第1回音楽旅の直後だった。休暇を取れる会社、旅行代を稼げる仕事を、再び確保できるのだろうかと思うと、ひどく不安で生きた心地がしない。もう人生終わりにするしかないのだろうかと悩んだ。
結局のところ私は3ヶ月も失業することになったのだが、失業期間が長引いて落ち込む前にウィーン音楽旅をすべきと、咄嗟に判断したのは正解だった。退職前、残りの有給休暇消化中にウィーンに飛んだ。
曇り空で寒かった3月初旬のパリ旅とはガラリと異なる、真夏6月のヨーロッパ。青空で、ちょっぴり猛暑気味なウィーン。
ウィーンでやったこと、起こったことを書き出してみよう。第2回音楽旅だ。まだ2回目なのに、なんという完壁な旅だったのだろう!!
- ウィーン国立歌劇場でモーツァルト「フィガロの結婚」鑑賞。(ただし開演時間を勘違いして1時間遅刻!笑)
- 完売の楽友協会のウィーンフィルハーモニー管弦楽団の定期公演チケット(定期会員だけでほぼ売り切れるらしい)のキャンセル席を、偶然、現地のウィーンフィルのチケットオフィスでGet!ブラームス、ヴェーベルン、シューマンのプログラム。指揮はベルリンフィルで活躍していたサー・サイモン・ラトル。
- その他、楽友協会ブラームスホールで弦楽四重奏団のチャイコフスキー等、大ホールでダニエル・バレンボイム指揮のベルリン・シュターツカペレ・ベルリンでブルックナーの交響曲第7番を鑑賞。演奏後にバレンボイム氏に同曲CDにサインをいただき、セルフィーでツーショット撮影!
- コンツェルトハウスでアンドラーシュ・シフによるモーツァルト、ハイドン、シューマン、ベートーヴェンの変奏曲を集めたソロピアノリサイタル。
- ベーゼンドルファー社のピアノ練習スタジオを予約して弾く。
- 花束を持ってウィーン中央墓地でシューベルト、ベートーヴェン、ブラームスなどのお墓参り。別のエリアにあるマーラーのお墓参り。
- ベートーヴェンの散歩道を歩く
- ベートーヴェンの博物館(パスクァラティハウス)を訪問
- クリムト作のベートーヴェンフリーズ(壁画)を鑑賞。場所は「黄金の玉ねぎ」として知られるセセッション(分離派会館)
- ベルヴェデーレ美術館でクリムト作品等を鑑賞
- バスに乗って1時間。隣の国スロヴァキアの首都ブラスティラヴァを訪問
- ザッハートルテ、アプフェルシュトゥルーデルなどのお菓子、飲み物、食事を楽しむ
- グリンツィングでホイリゲ(安いワインの庶民的な居酒屋)でランチ
何故か、あの時はよく現地の人に声をかけられた。
すでに30代だったが、向こうの人から見ると若く見えたのだろう。若いアジアの女性が一人でコンサートホールなどをうろついていると、目立ってしまうようだ。
長時間フライトの後で疲れている初日に、軽い夕食のためサンドイッチを買いに行ったら、スーパーでオペラ好きの地元のおじさんに捕まり、立ち見席の素晴らしさを熱弁された。
作曲家たちのお墓参りに行くために花束を持って路面電車に乗り込んだら、花が暑さで萎れ気味だったことが気になって仕方がないおじさんに声をかけられ、シューベルトやブルックナーなど作曲家の話の他、オススメの詩人の名前を教えてくれた。(ちなみに私の記憶が確かなら、そのおじさんの好きな詩人はリルケとヘンダーリンだった。)
さらに、楽友協会でのウィーンフィルでも隣のおじさんとおしゃべり。親戚同士複数名で来ているようで、来られなくなった奥様の席をキャンセルしたところ、そのキャンセル席を偶然私が入手したのだった。ヴェーベルンが終わり、シューマンに入ったとき、ニヤッとして「やっといい音楽が聴ける」とボソッと教えてくれた。ふふふ。ウィーン在住の音楽ファンなのに、新ウィーン楽派はお苦手なのね。
幸せすぎる旅だった。何もかも完壁だった。帰国したら失業者であるという現実以外は。
ウィーン最終日は日曜日だった。ウィーンの主要道路は通行止めになっていた。バイク乗りたちの大集団が愉快そうに歌劇場前を快走。仮装したバイク乗りや後ろの席に大きなぬいぐるみを乗っけたバイク乗り野郎も。沿道から歓声が沸く。なんだ、このイベントは?!市民バイクレースか?
なるほど、こうしてウィーンの人々はストレス解消しているのか!いや、ちょっと待て。ウィーンに住む人々にそれほどストレスがあるとは思えない。ここはヨーロッパ。3〜4週間のバカンスが当たり前のヨーロッパ。1週間の休みさえ取れない人もいる日本とは違う。この平和な都市ウィーンに留まりたい。日本には絶対に戻りたくない。嗚呼。
こうして、最高に楽しいのに、死にそうなほど絶望するしかなかったシツギョウ旅行は終わった。
3ヶ月の失業期間を経て、私は何とか旅費と休暇を確保できる仕事を見つけることができた。コロナ禍の直前まで、ほぼ毎年1〜2回ヨーロッパに音楽旅をすることができた。
それから、悪夢のようなコロナ禍を耐えた。そして、再び旅行に行けるようになった。(早まって人生を終わりにしなくて良かった!)
2022年12月のフランクフルト&ストラスブールに続き、早くも音楽旅再開第二弾の旅を実施する。11年ぶりにウィーンへ。
一方で、世界的なインフレ、極端な円安、航空運賃の高騰は私の気分を暗くさせる。恐ろしいことに、今回の旅は、このページで綴った11年前のウィーン旅の2倍以上の金額がかかっていると思われるが、あまりにもショッキングなので、もう費用総額の計算はしない。都合の悪いことは知らないことにしよう。何度もヨーロッパを往復するのはあまりにも効率が悪い。ヨーロッパに住んでしまった方が効率的なのだが、肝心の仕事・就労ビザが問題だ。
日本に住むことは、私にとっていったい何の意味があるのだろうか。何もない。だからこそ、何とかしてヨーロッパに移住できないだろうか。
音楽鑑賞のためにわざわざヨーロッパまで行く。
とんでもない費用をかけて飛んでいく。
バカかもしれないが、とにかく行ってしまう。
ネガティブ人間の私でも、ヨーロッパにいる時だけは生きていて良かったと素直に思える。ライフ・イズ・ビューティフルと言える。そんな唯一の瞬間なのだから、無理してでも行き続けるしかない。
たった一つだけど、生き甲斐があって良かった。
2012年ウィーン音楽旅の思い出