ピアノ様
ご存知だと思いますが、私はあなたのことが好きではありません。
私には音楽的才能が少しもありません。正しいリズムやテンポを理解できません。音を記憶できません。
音楽の神は私を呪っているに違いない。
ああ、それなら私は音楽の神を恨んでやる。
あなたと一緒にコツコツ練習すれば誰でも上手くなるなんてウソです。詐欺です。才能ある人だけが、努力によって能力を伸ばせるのです。「継続は力なり」を証明する道具としてあなた(ピアノ)を使うのはイヤだ。偽善的でアホくさい。
スズキより
ウン十年もピアノを弾いているけど、レパートリーは常にゼロです。
最初から最後まで正しく弾ける曲などありません。無理して弾いた曲は、その後あっという間に弾けなくなリます。「スズキさん、ピアノ弾けるよね?何か弾いて!」と言われても披露できる曲が1曲もないのだ。とほほ。
楽譜がないと弾けません。でも、楽譜があっても、1分あたり10回ぐらいミスタッチしながら、10回ぐらいストップしながら、たどたどしく弾くのが精一杯。初見の楽譜の話ではない。数ヶ月頑張って練習しても、その程度の演奏しかできない。とほほ。(2回目)
ピアノを弾いて心が癒されるなんてウソだ。ストレスが増えるだけで、心は少しも癒されない。
弾いている自分が癒されないのだから、聴いている人が癒されるはずはない。そもそもこの世の誰も私のピアノに興味ない。何の意味もない虚しいピアノ人生だ。
それでもピアノを弾くのは、それが音楽を理解する手段の一つであるからに過ぎない。
同時に複数の音を容易に奏でられるピアノという楽器は、音楽理解において非常に便利な道具である。
それ以上でも以下でもない。
私にとって、ピアノは何なのでしょう。
家族とかパートナーと言えるほど仲良くない。
顔を洗ったり歯磨きするような日常に欠かせない行為でもない。
週に数回取り組むもの?
連日取り組むこともあれば、数日音沙汰ないこともある?
では、お酒みたいなものか?
違うな。お酒の方が平和で無難だ。ピアノはストレスフルだ。努力は裏切らないですって?そんなのウソだ。ピアノにおいては。
私は11年前のウィーン音楽旅で体験済みのことを、今回の旅ではほとんど繰り返さなかった。今回は今回で新たな体験を求めたいと思った。唯一繰り返したのは、ウィーンでピアノを練習するという企画のみ。
ほら、ご覧!アンタはピアノを愛しているではないか?!
そんなはずはない。あんなヤツ大嫌いだ。
ベーゼンドルファーという高級ピアノを触ったのは、11年前以来だろうか?いや、ほんの数回だけ参加した東京のピアノサークルでも一度ぐらい弾いただろうか?
前回、どのように感じたかは忘れたが、今回は思ったより鍵盤が浅いと感じた。
「なぜか今はここに新品のピアノを置くことになって・・・」と言いながら、ベーゼンドルファーのスタッフは、ペリっと私の目の前でピアノの「ベーゼンドルファー」ロゴに貼られた保護シールを剥がした。新しいから鍵盤が浅い?いや、そんなはずはない。関係ない。
鍵盤は浅めだけど、響きは重い。重厚な響きはブラームスやシューマンが似合いそうだ。
あいにく、ブラームスやシューマンは弾いていない。好きなのだが、難し過ぎて弾けないので近年は避けている。
持って行った楽譜は以下の通り
- 最近夢中になっているバッハの半音階的幻想曲とフーガの「フーガ」のみ
- ずっと前に楽譜を買って放置したが、最近ちらほら弾いているシューベルト ピアノソナタ第14番第1楽章の冒頭部分
- 年初にちょっと弾いていたバッハ=マルツェッロのアダージョ
- 数年前に夢中になって弾いたモーツァルト ピアノソナタ第10番第2楽章
- 数年前に夢中になって弾いたバッハ=ブゾーニ のコラール
バッハのフーガなど泣きたくなるほど無様な演奏しかできなかった。よほどテクニックが高くないと、このピアノでバッハは弾けない。このフーガは、北ドイツの友人宅の電子ピアノではイイ気になって弾けたのに。いつも弾いているアコースティックピアノにはない、オルガンの音色を選択して、フーガを弾いて、「おやまあ!ワタシもなかなか弾けるではないか!」と一人で珍しく得意げになったのだが、現実はそう甘くなかった。勘違いだった。(ちなみに、せっかく弾いたのに、ドアを閉じていたので友人たちにはあまり聴こえなかったそうだ。)
この曲の中で、ベーゼンドルファーの重厚な響きに合うのは、強いていえば、バッハ=ブゾーニとシューベルトの暗いソナタぐらいだろう。シューベルトはうまく弾けず、私はバッハ=ブゾーニに狙いを定めた。
何の狙いかって?
いや、せっかく安くない費用を支払ってわざわざウィーンのピアノ練習室を確保したのだから、練習を記録に残しておきたい。
ご存知でない人のために少し説明すると、これはバッハのコラールをフェルッチョ・ブゾーニ(イタリア、1866-1924)がピアノ独奏用に編曲した作品である。
というわけで、以下のような演奏を記録することができた。
11年前と同じ、楽友協会と同じ建物内に入居するベーゼンドルファー本店の練習スタジオを予約した。11年前は直接メールで予約したが、今回は旅行者向けのピアノ予約アプリを使って予約した。本当はもう少しリーズナブルな別の施設の予約を申し込んだのだが、オーナーにリジェクトされてしまったので、仕方なくベーゼンドルファー本店と思われる練習室を予約したところ、受け入れていただけた。
旅行中に密室で一人、ピアノと一緒に籠るのも悪くない。
「うまいね」と言われても複雑な気分だ。音楽をよく知らない人がテキトーに社交辞令的な感想を言っているだけにしか聞こえない。どうせ何にも興味ないくせに。ストレートに「ド下手な演奏だね!よくそんなレベルで公開できるね」と本当のことを言われるよりはマシだから、テキトーに「ありがとう」と返そう。
嘘っぽい「うまいね」という下手な感想より、選曲を褒めてもらえる方が嬉しい。「その曲、初めて聴いたけど、いいね!好き!曲名や作曲家名を教えて欲しい!自分でさらに調べてみる!」なんて言われたら、嬉しくてニヤニヤしてしまう。誰かの視野を広げるお手伝いをするのは快感だ。(ああ、それなのに、どうしてこの世の人間はあまり文化芸術に興味関心がないのだろうか!!音楽をせいぜいBGMぐらいにしか思っていない人ばかり!!)
どこかの誰かに曲を知ってもらうキッカケを作るのは楽しいのだが、残念ながら知って欲しい曲を弾く能力が私にはない。だから、ピアノを弾く目的は曲紹介だなんてということは出来ない。
ピアノを弾いていても全然おもしろくないのだが、それでもピアノを弾いている。虚しいピアノ人生だ。人生とはそんなものさ。気にせず弾き続ければいい。